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醫王山 廣嚴寺(いおうざん こうごんじ)

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元徳元年、後醍醐天皇から禅地を創建し勅願所とした。

開山は、明極楚俊(みんきそしゅん)禅師、姓は黄氏、明州慶元府の人、
元享元年(1311年)に入朝し、同3年春、禁裏に召され「沸日燄慧」の号を賜った。

建長寺、建仁寺、南禅寺に住し、当山の開山となった。


建武3年(1336年)5月、湊川合戦の前、楠木正成公往訪し、
「問日生死謝時如何」師答日
「両頭倶截一劍倚天寒」"一喝"公拝して去り、合戦に参じたとある。

湊川合戦の時、楠木正成公、正季並びに一族士卒を境内にと葬り善提所とした。

元保5年(1692年)中興千嚴和尚の懇願尽力により、徳川光圀公(水戸黄門様)より
佐々介三郎宗淳等を派遣され、『嗚呼忠臣楠子之墓』が建碑された。
この楠公霊碑を祀ることにより、当寺を『楠寺』と呼ぶに至った。

昭和20年(1945年)3月、第2次世界大戦末期、空襲によって、堂塔伽藍すべてが消失したが、
幸い庫が戦火をまぬがれ、後醍醐天皇御親、開山明極禅師墨跡、明極行状記、大楠光・小楠光書筆、
楠木正成公武軍所持品等、湊川建碑徳川圀公筆千嚴和尚書、建碑造原形図等々、数多くの寺宝が現存している。

境内には、松尾芭蕉の句碑、鉄肝石心の人是情と題し、
「なでしこに かかるなみだや 楠の露」と刻まれている。

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